昭和45年11月04日 夜の御理解
伊万里の竹内先生が、御礼に出て見えられました。先日から先生が、市長になられてから、次々と、伊万里市の上に、大変広大なおかげを頂いておられること。中でも今度伊万里市が、天皇陛下に差し上げるお米の、献米の御用を頂かれることになったという。その献納式が東京で宮廷であり、天皇陛下に拝謁を許されて、大変面目を施したと。熊本で御用をなさっておられる時に、その、天皇陛下が見えた時に、侍従武官で見えておられた方が、献米の、そのことへの係りになっておられたそうですから。
もう何かにと、便宜を図っていただいて、特別のおかげを蒙ったという事など、まぁ色々お届けがありました。そして今日はあの天皇陛下に、いわゆる献米をなさったそのお米を、ここにもお供えに持って見えられました。本当に有難い、いわゆる神は皇上に通じますね。神と皇上の大恩を知らぬことと仰る。皇上と書いて、神と書きます。いわゆる神様がそういう、ままになられるおかげを頂かれると言った様なね。
そういうその意味合いがありましょう。今日ちょうどおかげを頂いてから、幹三郎が、ちょうど、ここを二時に出発させていただいて、無事に入院が済んだと。もう今日は富永先生朝から大変、その事で奔走して頂いてもう本当に、先ほどからあの、三男さんと若先生が帰ってまいりましてからもうあそこで、富永先生と言うたら、もう、看護婦お医者さん、事務室は言うに及ばず。
あの、下駄預かりの小母さん達までが、はぁ、富永先生が直ぐち言うて、始めの間は、なんですけれども、富永先生のご紹介と言うたら、態度が変るほど、その、まぁ、大した人気のある方らしいですね、富永先生と言う方は。そういう方の、例えばお世話で、今度、ほんなら、幹三郎が、おかげ頂きましたが、なお一つ、あの、たまがられた事は、あの、病室が、いわゆる、何人かこう、一緒になっておる病室だったんです。
ところが、今朝から富永先生、個室が今朝から空きましたち言う。そちらへあの入っていただこうと思いますと言うて、今日参りましたのも、それこそ立派なお部屋だそうでございますがね。まぁ、そういう、実に神ながらな、お繰り合わせ、おかげの中に、おかげを頂いておると言う事ですね。これも竹内先生のお話ですけれどもそんな訳で、あちらで、熊本にお出でられた時に、侍従武官をなさっておられた方のお世話で、そのお米を作られたお百姓さんの、家族の方達までも、今度一緒に行っておられた。
それは一緒に行かれませんけれど、まぁ、ついて行っておられたそうです。ところが、その事を話されたところがね。あの、その方達も、ご一緒に入って良いというお許しを頂かれた。特別の、まぁ扱いを受けたという事でございます。そして、皇后陛下からのお言葉として、その、このお米が出来ませんとね。宮中で、一番大切な政(まつりごと)、いわゆる、新嘗祭ですよね。祭の、その神事が行われませんと。そういう大変な事に、お骨折り頂いた事を、まぁ感謝しますという意味のお言葉だったそうですね。
もう、そのお百姓さんが、それを聞かれて感激されましてね。まぁ一年間の苦労が、それで飛んでしもうたと言うてその、感激されたという事でございます。まぁ皇后陛下のお言葉で、感激された訳でございましょうけれども。私共はね、一つ本当に、神様から一礼申すと言われるようなおかげを頂きたい、信心させて頂きたいですね。例えば教祖の神様が、天地乃親神様から。
神様が、一礼申すとまで仰せられるほどしの事になっておられるようにね。私共もやっぱり、その神様に御礼を申し上げるだけではなくてね。おかげを受けて有難いと御礼を申し上げるだけではなくて、その、神様から、それこそ、御礼を、一礼申して貰えるほどしのね、おかげを頂かせていただきたいと言う様な、今日は思いが致します。どんな苦労も、神様から、一礼申されるほどしのおかげを頂かれたら有難いことでしょうね。